2018-02-05 第196回国会 衆議院 予算委員会 第5号
例えば、公費で安倍昭恵さんについていた秘書役の方がこの問題についてファクスでやりとりをしている、そういう事実がございました。こういう点を見ても、何にもかかわっていないというのは少し言い過ぎなんじゃないかと私は思いますけれども、総理、いかがですか。
例えば、公費で安倍昭恵さんについていた秘書役の方がこの問題についてファクスでやりとりをしている、そういう事実がございました。こういう点を見ても、何にもかかわっていないというのは少し言い過ぎなんじゃないかと私は思いますけれども、総理、いかがですか。
これ、でも、秘書役、秘書のような仕事をしていたけれども、けれどもという文脈を相手が秘書官と書いたというふうには、私はちょっとこれは理解しにくいですけどね。
仕事上は私のところに秘書が二人おりまして、言わば秘書役的な仕事をしていただいています。そういう意味で、心得も付いているんですけれども、そういう意味で部長級だとおっしゃったんだと思いますけれども、処遇といいますか、クラスでいいますと、いわゆる係長の少し上のGLの処遇でございます。
尾身朝子、尾身議員の御長女が、尾身議員の国際会議等への出席の際に、尾身議員が出席し、その専門性を生かす上で、外国人有識者との間の通訳、連絡係兼秘書役的な役割として出席が必要であると運営委員会等が認め、御長女が同席されたものでございます。
○清水政府参考人 尾身議員がオブザーバーとして国際会議に出席されるに際しまして、その専門性を生かす上で、外国人有識者との間の通訳、連絡係兼秘書役的な役割として御出席が必要であると認められたものでございます。
○達増委員 これは、平成十一年の法律作成に私も深く関与して、もとになるイギリスに行って視察もして、若手の国会議員を大臣の秘書役をさせることで若手議員を育て、そして、議員が政府の中に入って、与党・政府が一体になって政策を推進していこうというための制度なんであって、ミニスターの下にあえてバッジがセクレタリーとしてつくところにこの趣旨があるんです。
例えば、中央省庁もさまざまでございまして、ある試験所がございまして、私の身近な例なんですが、そこの所長さん付の秘書役をしていた女性がいるんですが、その女性は物件費だったんですよ。人件費じゃないものですから、正規の公務員じゃないんですね。ところが、本人は秘書役という、非常にやる気を出して、その所長さんの部屋へ入っていきますと、まさしく秘書の役割を果たしていたわけですね。
みずから青木幹雄氏の秘書役をもって任じ、青木さんの意向を体して業界の中で行動するということで知れ渡っているというふうに聞いております。 そういうことであれば、さきに談合情報があってやり直しになったケースの二社、そして今度落札をした飛島建設も、青木さんつながりということでは一緒じゃないですか。
ですから、これは総裁に対する電話ですから、総裁の秘書役の方がとられて、すぐに総裁にかわったんだろうと思いますが、どちらか、総裁の秘書役の方か藤井総裁かどちらかが、ああこれは青木先生の声だというふうに認識したはずなんです。だから書いたんです。これはほかの人にはわからないですよ、青木さん本人の声だったと。 そして、その要旨が書いてあります。公団に会う気はない。
こういう、鈴木議員の片腕、秘書役として働いていることがもう公知の事実になっている佐藤氏がこういうことをやっているのは、極めて重大なことなんですよ。 次の質問ですが、技術支援交流の中に、日露医学医療交流事業というのがあります。この事業の日本からの専門家派遣の予算実績、人数及び金額及び派遣の人選手続はどうなっているか。
鈴木議員の会合が終わるころになって、その鈴木議員の会合に主賓として招かれておりました高橋、ブラヒミ特別代表の秘書役を務めておりました人が次の日に帰るということで、会いたいということで、鈴木議員の会合が終わった後合流したということでございます。
○小町政府参考人 粗参事官も、それから谷崎課長も、高橋秘書役といいますか、をよく存じ上げているからでございます。その次の日に日本を離れるということも知っておったからでございます。
○小町政府参考人 判断をしたといいますか、高橋秘書役とぜひ、彼が日本を離れる前に会いたいということから加わったものでございます。
ただ、秘書役という名刺を彼は配り歩いていたと。あなたの了承なしにね、何でわざわざそんなことするんですか。意味がないじゃないですか。 それだけじゃないですよ。証人は九六年九月に、ものつくり大学を推進するためにあなたが団長になってヨーロッパに視察を行っています。その際、ドイツ・マイスター制度視察のしおりというのがつくられて、参加者に配付されている。これがそのコピーです。
そして、中村勝彦さんは、あなたと一緒に、あなたの秘書役ということでものつくり大学視察のためにヨーロッパに行っていますね。
○証人(村上正邦君) 秘書役というような一部報道がされておりましたが、中村氏は私の秘書役ではございませんし、そういう実態もありません。
目下、経済企画庁はその準備にいそしんでおりまして、この民間委員の方々には、従来の審議会の委員などと違いまして、秘書役に当たる方もつけ、また役所の中にそれ相応の部屋もつくらせていただき、常に接触をして、会議に来てから資料を説明するというようなことがないように、情報が行き渡るようにしていきたいと考えております。
理事長を筆頭に、経理部長、経理課長、資金課長、秘書役などです。彼らはすべて、沖縄公庫の東京本部に陣取って、対大蔵対策という仕事を行っているようです。実際の業務は、すべて沖縄現地の本店で行われております。 なぜ、沖縄の振興策を行うのに、東京に理事長がおり、しかも、五人の公庫役員のうち三人までが東京本部にいなければならないのか、大変疑問です。 役員の一人は、沖縄開発庁の局長からの天下りです。
いま一つ、これも弁解をして足を出したのではなかろうかと私は思っているのですが、マージャンの景品の図書券は、本部長のポケットマネーで前の総務課次長が購入したことが明らかになっているのですが、監査委員の説明では、本部長は単身赴任のため、秘書役をしている総務課次長に毎月給与から十五万円を渡して身の回りの用品を購入してもらっていたそうでございます。したがって、これは私用じゃないですか。
国税庁次長 船橋 晴雄君 国税庁課税部長 乾 文男君 委員外の出席者 総務庁行政監察 局監察官 伊藤 孝雄君 建設省道路局日 本道路公団・本 州四国連絡橋公 団監理官 松井 邦彦君 参 考 人 (日本銀行秘書 役
○村上参考人 日本銀行秘書役の村上でございます。 お答え申し上げます。 お問い合わせの親族となるとかなり広範でございます。大急ぎで確認をし、また総裁にも確かめましたところ、日銀総裁就任以降、親族の方で銀行、証券等に就職した者はいないとのことでございました。また、総裁就任以前につきましては、大蔵省在職中におきまして、五十八年に総裁の長女の方が銀行に就職しております。
両案審査のため、本日、参考人として日本銀行秘書役村上堯君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
まず一つは、この泉井氏と、特に泉井氏の関係の事務的な処理をされていた藤本税理士、あるいはまた秘書役の武田順子さん、そして三菱石油の山田会長、さらには、政治家の関係においては、関西の山崎拓後援会、拓政会の事務所が泉井氏のところにあり、かつまた後援会の重要な役員、そして今回の政治資金の中でも、政治家の中では一番額の多い山崎拓衆議院議員のそれぞれ四人の証人の喚問を求めたい、証人を求めたいと思いますので、委員長
当時の官房長官は今のように偉い官房長官ではなくて秘書役みたいなものだったようでございます。 と申しますのは、憲政史上、こうやって予算を提出した内閣が、総理大臣がやめてかつ大蔵大臣もやめるということはないのです。私は、これは憲法の問題ではなくて、やはり政治家の姿勢の問題だと思います。 今、官房長官は後世の史家の判定にまつと言われましたけれども、これは、私は久保大臣も気の毒だと思います。
○山田(宏)委員 六月の初めに小林秘書からこの興銀の秘書役の方に電話があって、佐佐木社長が困っているのでいろいろな話を聞いてやってくれ、こういう電話があったわけです。それに対して興銀はどう対応されましたか。
○黒澤参考人 これは、小林秘書から私どもの秘書役に電話がありましたんですが、佐佐木社長が何か言い分があるらしいので聞いてやってくれ、これだけでございます。
実は私、政治家になる前に大蔵省の役人をしておりまして、その当時IMFの日本代表理事の秘書役を三年ワシントンでいたしまして、そういう点からも国際的な経済協力、特に途上国の経済発展については多少個人的な経験も有しておりますので、そういう中で、お話しございましたように、途上国の労働状況の改善といいますかボトムアップということは私はこれが大きな国際的な課題だと思いますので、今申しましたように日本の立場、政労使
もともと独立した行政委員会としての地方財政委員会から自治省設置に伴って現行のものに変わってきたという経過を踏まえて、昔の精神を生かすならば、常勤であるとすればそれにふさわしい勤務形態であるとか、あるいは現在政務次官の秘書の方が委員会開催のときだけ二時間ほど秘書役ですか、いろいろお手伝いをやっていただいている、兼務しておられるというふうに伺っておりますが、やはり自治省にも距離を置いて、大臣に勧告もすれば
現場のすべての人が君の師匠であり、先生と思って修業せよ」との今井翁の戒めを受けた先生は、朝五時に起きて宿舎や工場のぞうきんがけの先頭に立つなど、職務に精励し、また、秘書役として翁とともにさまざまなところを訪れ、いろいろな立場の人々と出会い、会社経営のみならず、人間と政治について学ばれたのであります。